安斎写真館

趣味は写真です。
かつては、街へ出て人を撮っていました。
いい年になってからは少しはばかられて、猫を撮るようになりました。
動いているものの一瞬を切り取るのが好きなのです。

最近の被写体ははもっぱらわが子です。
猫なんて撮ってる場合ではありません。
4歳の多笑はさすがにレンズの存在を意識することが多少はありますが、
2歳の直太朗はまだまだ無防備というか無着色というか。
二度と来ない一瞬を切り取っています。

この連休で撮影した写真を少しアップします。

こまつパンの牛乳パンを公園で食べる。


前から見るとこんな感じ。


多笑はブランコが苦手。写真の状態が最高到達点。


水が噴出するところが大好き直太朗。でも微妙に届かず。


そして姉に横取りされる。


タンポポの綿毛を吹き飛ばすのは、姉弟共通の楽しみ。


基本、仲良し。


(夫記)  

2013年04月29日 Posted by 安斎 at 15:26Comments(0)

長野県産ワインと丸山鶏肉店の夕べ

長野県産ワインは、いつからこんなにおいしくなったのだろう。

ワインのおいしさとは、すなわちぶどうのおいしさなわけですが、
温暖化が進んで、ワイン用ぶどうの産地がどんどん北上してきて、
長野県の冷涼な気候がぶどう栽培にぴったりになってきたそうな。
(近頃では北海道でもワインづくりが盛んです)

そもそも長野県は、年間降水量が少なかったり、平均日照時間が長かったり、
山だらけで傾斜地だらけなので、水はけが良かったり、寒暖差が大きかったり、
南北に長いので、各地の気象条件によっていろんな品種が栽培可能だったり、
ぶどう栽培に適した自然条件がそろっているのだとか。

そして、そんなぶどうの力を引き出して
土地ごとの個性あるワインを醸すワイナリーが各地にあり、
競うようにおいしいワインをつくっているというわけです。

それを後押しするように、長野県では独自の「長野県原産地呼称管理制度」という
厳しい基準を通過したワインだけを認定する制度を設けています。
(ほかにシードル、日本酒、焼酎、米の部門がある)

さらに、おいしい長野県産ワインを日本中に、いや世界中に知らしめようと
「信州ワインバレー構想」が策定されたのであります。

と、やや語気が荒くなったのは、
最近、長野県観光部が運営するこのサイト上の特集記事のため、
県内のワイナリーを訪ねては、そこの醸造責任者の方に
いろいろとお話をお聞きしているからです。
(そのへんのお話は、ぜひ上記サイトをご覧ください。近日公開)

これまでうかがったのは山辺ワイナリー安曇野ワイナリー
あづみアップルスイス村ワイナリー
山辺ワイナリーはわが家から車で10分ほど、
ほか2軒は30分ほどで行ける距離にあって、
いずれも日本アルプスワインバレーと呼ばれるエリアに位置します。

取材のたびにおすすめのワインを教えてもらっては、ほくほくと買って帰り、
わが家備え付けの地下のセラー(台所の床下ともいう)に並べ、
週末ごとにワインを楽しんでいます。



さて、わが家から徒歩数分のところ、
東町通りと上土通りを結ぶ東小路(あずまこうじ)に丸山鶏肉店があります。
松本には、山賊焼きの看板を掲げた店をあちこちに見かけるのですが、
ここ以外にもいくつか鶏肉専門店があるのは、そのせいなのでしょうか。

店の奥が広い厨房になっていて、そこでさばいた新鮮な肉が、
部位ごとにガラスケースに並びます。
今夜飲む1本を思い浮かべながら、何を買おうか迷うのも楽しいひととき。


山辺ワイナリー「メルロ畑の番人2010」、
フルボディのしっかりした赤には鶏モツの煮込みを。


あづみアップル「メルロー・ロゼ」には
砂肝とネギのニンニク炒めを。


安曇野ワイナリー「シャルドネシュールリー」、
舌先にちりちりと微かな発砲を感じる後味すっきりの白には、
なんだったかな、失念。


昨夜は、あづみアップル「ソーヴィニヨン・ブラン」に
鶏もも肉と九条ネギ(みたいなの)の塩糀炒めを合わせました。

すっきりクリアなこの白には、白身の魚が合いそう。
というわけで、次は魚屋を開拓したいと思います。

(妻記)

  

2013年04月28日 Posted by 安斎 at 08:53Comments(0)

工芸の五月と六九クラフトストリート

桜が散って雪が降って、そんな4月もあと一週間。
ややご無沙汰していました。妻です。

子どもらは、まあまあ元気に通園中。

直太朗は相変わらず朝のお別れ時には泣きますが、
お迎え時には、しばしわが子が見つけられないほど「山の子」に馴染んでいます。
(以前は所在なさげに突っ立っていたので、すぐに見つかった)

多笑は「行きたくない」と本音を言ったり、時に泣いたり。
園でも少しずつ自分の気持ちを表せるようになってきました。
それだけでも大きな進歩としましょう。
今まではひたすら「聞き分けのいいお姉ちゃん」の役割をまっとうしようと、
自分の気持ちを押さえつけてきたのだから。

複雑な多笑の心情を理解し、彼女らしさが発揮できるようにと
細かく気を配ってくれている山の子の大人たちには、ほんとに感謝しています。
(山の子保育園では先生と呼ばず「大人」「子ども」と呼び分ける)


さて、近況報告はこれくらいにして本題。

今年も「工芸の五月」がはじまります。
私は立ち上げ当初から工芸の五月に関わってきましたが、
昨年までは長野市からの遠征組としてのイレギュラーな立場。
それがとうとう松本市民となって、みなさんを迎える側となりました。

すでに配布中の公式ガイドブック、お手に取っていただけましたか。
(デジタル版もご覧いただけます→こちら

私は今年がんばって巻頭記事を担当しました。
「柳宗悦と松本」という大それたテーマに腰が引けつつ
なんとか書きおおせたのは、いろんな方のお力添えがあってこそ。

なかでも元松本民芸館館長の宮嶋通江さんには
手製の年譜をご提供いただき、特別講義までしていただきました。
ガイドブック誌面に監修者としてお名前を入れることを頑に拒まれ、
「終活してるから、もうどこにも名前は残さないのよ」と仰る宮嶋さんに
この場を借りて御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

松本市美術館では「柳宗悦展」がはじまっています。
ほかにも、すでにはじまっている企画がいくつかあります。
何から観に行こうか、とてもワクワクしています。

なかでも特に楽しみなのが「六九(ろっく)クラフトストリート」。
六九通りにある既存店の一角や空き店舗を会場に、
4つのまちのギャラリーがひらきます。

顔ぶれは、ギャラリーやまほん(三重県)、ギャラリーエム・ツウ(高知県)、
KiKU(石川県)、そして10センチ(長野県)です。

滅多に足を運ぶことのできない遠方のギャラリーが、
各地のつくり手たちの作品や、おいしいものを運んできてくれます。

会期は
5月17日(土)、18日(日)11〜18時(10センチのみ)
5月24日(金)、25日(土)、26日(日)9〜18時(24日は12時〜、26日は〜17日)

私はこちらの企画・編集のお手伝いもしていますが
手前味噌ながら、素敵なパンフレットが刷り上がりました。

部数がそれほど出回っていないので、PDFファイルをリンクしておきます。
よろしかったらご覧ください→こちら
実際は、パタパタと蛇腹折りになっています。


(写真は三谷龍二さん)

六九の話題といえば、ミナ ペルホネン松本店が開店します。
先日、夫がこのブログで少し触れましたが、
六九通りにある元薬局の建物を、現在改装中。
壁面に繊細なレリーフを施した看板建築は、
松本市街でも指折りの素敵な建物だと思います。

六九クラフトストリートに合わせてプレオープンされる予定ですので、
生まれ変わった建物をご覧いただけると思います。

「ミナ ペルホネン」とは、皆川明さんによる服飾ブランドで、
最近では東京スカイツリーのユニフォームをデザインされたことが有名でしょうか。
地元ネタでいえば、小布施堂が運営するカフェ「ENTOTSU(エントツ)」の
ファブリックや制服を手がけられました。

生地づくりから始まる皆川さんの仕事にはファンが多いのですが、
何を隠そう、私もそのひとりです。
服ももちろんですが、ものづくりに対する姿勢に
かねてより敬意を抱いてきました。

先日、皆川さんとお話する機会に恵まれたのですが、
松本は、城下町ならではの手仕事が息づき、戦後は民芸運動が盛んになり、
それが現在のクラフトフェアや工芸の五月へとつながるところ。
そうしたものづくりが根差した地だからこそ、
新たな店を構えることを決められたそうです。

そして、まち自体が変わらないことも大切な要因だ、とも仰っていました。
六九は、松本のなかでも開発から取り残された一角です。
だからこの通りや建物には風情があり、物語が宿っています。
それにひかれて三谷さんは10センチを構えました。
そして皆川さんもやってきます。

みなさんもぜひ5月の松本、そして六九通りへお越しください。
  

2013年04月24日 Posted by 安斎 at 10:25Comments(0)

娘の涙

通園2週目。

月曜。

週末を長野市の私の実家で過ごし、おじいちゃんおばあちゃんと
たっぷり遊んでもらったので、前日から登園が気がかりでした。
予想通り直太朗は出かけるのをこばみ、園に着いても泣いています。
私が連絡事項の確認や着替えの補充をしている間
多笑は直太朗をなだめ続けていました。

お迎えに行くと、直太朗は砂遊びの真っ最中。
先週は見られなかったひとりで遊ぶ姿に、少しほっとしました。
多笑は帰宅してからは「大人も子どももみんなとっても優しいんだよ」と言い、
散歩に出かけて摘んできたという草花を家中に飾ってくれました。

火曜。

朝はいつも通りぐずる直太朗と、それをなだめる多笑。
マットで少し身体を動かしたら、楽しそうにふたりで遊び出しました。
それを見計らって「お母ちゃん、そろそろ行くね」と言うと、
「いってらっしゃーい」と多笑は手を振ってくれました。

帰りの車中では「山の子って、すごく楽しいんだよ」。
ああ、良かった。多笑も少しずつ園に慣れてきたのかなと
胸を撫で下ろしました。ところが。

夕食にまったく手をつけず、「寒い寒い」と言う多笑。
ソファで毛布にくるまって間もなく、彼女は吐きました。
「ここがギューってする」と、胃のあたりの痛みを訴えながら、
布団に入ってからも、立て続けに吐いてしまいました。

水曜。

多笑は朝から元気なものの、園は休ませることに。
今日は夕方から大事な用事があって延長保育を頼んでいましたが、
急きょ、おばあちゃんに来てもらうことにしました。
医者へ連れて行きましたが、感染症ではない、
胃腸炎ではないか、とのこと。

午後は、直太朗も一緒に、おばあちゃんとお城の桜を観に行ったり、
好きなDVDを観たり。
夕飯には好物のおでんを「おいしい」と食べました。

木曜。

直太朗がぐずり、多笑は聞き分けよく登園するという、いつもの朝。
心配なので、しばらくの間そばにいて、歌の時間に参加。
多笑はなかなか私から離れようとしませんでした。

帰りの車中では「公園へ行ったよ」「ドンじゃんけんをしたよ」など、
楽しそうに今日のできごとをお話してくれましたが、
ふいに口をつぐんだ後、ぽつりと「保育園行きたくないの」
多笑の口から初めて聞く弱音でした。

母「いっぱいガマンしてるんだね」
娘「…」
母「でもお母ちゃん、お仕事があって、ずっと一緒にいてあげられないから」
娘「おばあちゃんちに行けばいいじゃん」
母「遠くて通うのは大変だよ」
娘「そっか…」
母「お母ちゃん、がんばって働くから、その間多笑ちゃんは…」

駐車場にクルマを止めながら私が言いかけた言葉を
多笑は怒ったように「わかってる!」と遮りました。
そして「多笑ちゃん、さみしくないよ」と言いながら、大粒の涙を流すのです。
「お母ちゃんのこと、ずっと信じてるから」

多笑にとっての「信じてる」は、「思ってる」というニュアンスです。
私は思わず、涙を流すわが娘に見とれてしまいました。
本当に、尊いものを見るような思いがしました。

(妻記)


追記

その後、多笑は直太朗とひとしきりプリキュアごっこをして、
「今日ね、リュウセイくんとお友達になったの」とおしゃべりしながら、
二日目のおでんを平らげました。
  

2013年04月11日 Posted by 安斎 at 20:31Comments(0)

ナントカパンマンパン

土曜の朝、妻が絶賛する「パンセ小松」に家族で行ってきました。

「パンセ」の「セ」ってなんだろう?という問いに対し、
ツイッター経由で「パンヤ」が「パンセ」に見えるのです、という意見もいただきつつ、
じっくり看板を見るも、やはりどうみても「パンセ」でした。

どのパンもおいしそうで、実際食べてもおいしかったのだけれど、
特筆すべきはこのパン!ということで一つ写真を撮りました。



へたうまというべきか、
いやはっきりヘタだと言うべきか。

顔のピースが全体的に下に寄ったナントカパンマンパン。

本当はナニパンマンなのでしょう。

(夫記)  

2013年04月10日 Posted by 安斎 at 23:52Comments(0)

ネオンホールへtheeを観に行く。

長野市にあるネオンホールへ短編劇場を観に行ってきました。

特別、演劇好きというわけでもない僕が敢えて70キロ離れた小劇場へ行った目的は、
「thee(シー)」という、産声を上げたばかりの劇団のコメディーを観るため。

前回の『リフとレイン』で脚本とキャスティングの妙を堪能し、
もう一度あの感動、いや感心、いや単純に笑いたいだけ、
という動機にかられて、今回は妻も一緒に巻き込み
子どもたちはおじいちゃん、おばあちゃんに預かってもらいました。

残念ながら僕には演劇評を書くだけのスキルがないため、
主な感想は「そうそう!」と思えた他の方のブログで代用します。
こちらも「そうそう!」

事前に伝えられていたあらすじは以下の通り。

「ダバダ」
芸のない漫才師。芸に苦悩する漫談家。
芸のためなら女房も泣かすコメディアン。
不甲斐なき大衆芸人ご一行様が繰り広げる、凶器にまつわる云々かんぬん。
罪の意識はアメリカンコーヒーの如く、薄い。
憎きアイツを殺め、哄笑するのは果たして誰か。
違いがわかるのは、誰だ。
身近にある凶器を浮き彫りにする、凶器コメディ。

なんのこっちゃなんですが、
終わってみると、ははーぁ、ほーぉ、あーちくしょー!
最初から伏線張られているのに、
パーツもオチも全部笑ったうえで、
最後の最後でまた「はっ」って感心して笑っちまったじゃねーか!
という感じ。前回もそうでした。

9月にまたあるそうですよ。
今回もチケット完売だったそうなので、ご興味のある方は
販売開始をチェックしなければなりません。

僕は元々、脚本と演出を担当しているコピーライター長峯亘氏のツイートのファンで
それをきっかけとしてこの劇団の存在を知ったのですが、
氏は最近、ツイッターに飽きてしまったようで、
氏の持つ言葉の魔力に酔いしれるには、theeが一番オープンな媒体のようです。

こうした魅力的なイベントがあると、
松本と長野なんて隣町みたいな気がしてしまいます。

(夫記)


おまけ
多笑がおいしいものを食べると、昔のネオソフトのCMを思い出します。
「おいしいかおって どんなかお〜♪ パンにはやっぱり ネオソフト」

  

2013年04月08日 Posted by 安斎 at 00:41Comments(0)

働く女

3日が入園日、4日から通常保育がはじまりました。
そして迎えた5日の朝。

めずらしく直太朗がぐずって、朝ご飯にも何かとクレームをつける。
お茶を出せば「ぎゅうにゅうがいいの!」
スプーンを渡せば「フォークがいいの!」
ご飯に目玉焼きをのせれば「ふりかけがいいの!」などなど。

出かけるのは「いや!」
ようやくクルマに乗せ、いざ降ろそうとすると「おりないの!」

昨日は保育園に着くなり私の手を離れ、うれしそうに庭を走り回っていたのに、
今日は片時も私の元を離れようとしません。
そして抱っこをせがみ「おうちかえるの!」

担任の保育士さんが駆けつけてくれ、
「昨日で様子がわかっちゃったのよねー」と言いながら抱っこ交代。
なるほど、遊んでる間にお母ちゃんがいなくなる展開に気づいてしまったか。

多笑は、家では「お母ちゃんがいなくてさみしい」
「知らない人ばっかりではずかしい」と言いながらも
園では「もうお姉ちゃんだから」と弱音を吐くことなく、
直太朗を気遣いつつ、自分がどうふるまうべきか、
まわりを見ながら判断している様子。

私が保育園をあとにするときも、
保育士さんに抱かれて泣く直太朗を多笑が一生懸命なだめていました。
健気だなあ。

朝の園では、あっちでもこっちでも
泣く子とそれをあやす保育士さんの姿があります。
4月ならではの光景なのかもしれませんが、
母たちは、後ろ髪を引かれる思いで仕事へと出かけて行きます。

ご近所にあるカフェと雑貨の店、amijok(アミジョク)の小島さんも
湊(そう)くんが遊んでいる隙にこっそり園を抜け出していきました。

わが家は松本への引っ越しを機に保育園への入園を決めました。
私は門前で暮らしていたときも少しずつ仕事はしていたものの
実家が近かったこともあり、取材や撮影のある日は母に直太朗をあずけ、
多笑の幼稚園のお迎えから、ふたりの夕飯までお願いすることができました。

そもそも編集の仕事を辞めて家事育児に専念していた私に
「やれる範囲でやってみませんか」と声をかけてくださる方がいて、
仕事再開を果たすことができました。
特に長野商工会議所の山谷さんには、感謝してもしきれません。

子連れで出向いたり、あるいはわが家で打ち合わせをしたり。
そういうスタイルがありだと思えたのは、先駆者がいたからでもあります。
例えばイラストレータのながはりさんナノグラフィカのたまちゃん。

ほかにも門前界隈には働く母がたくさんいます。
例えばこまつやのあやさん、アンドデザインの関谷さん、
シブサワデザインの渋沢さんなどなど。

私の母も、働く母でした。というか70歳を過ぎて未だ現役です。
40を過ぎて簿記2級の資格を取り、
60を過ぎてケアマネージャーの資格を取り。
机に向かって勉強する母の姿が目に焼き付いています。

彼女たちの姿を見るにつけ、私もがんばらねば、と思うのです。

(妻記)


おまけ、仲良し兄弟


  

2013年04月06日 Posted by 安斎 at 09:17Comments(0)

松本経済新聞に掲載されました。

夫です。

わが家のブログは、まさにフツウの生活を徒然なるままに綴っています。
自分たちの住む街の素敵だと思うところを発信しようというのが、
夫婦共通のテーマだと思っています。
遠くに住むおじいちゃん、おばあちゃん、友人たちへの近況報告も兼ねて。

子どもや孫が素敵な生活を送っていれば、
僕たちの親はきっと幸せな気持ちになるでしょうし、
僕と妻の価値観で営んでいる生活を発信していれば、
友人たちも自分の価値観を見直し、もっと幸せな生活とは何ぞやと思うことでしょう。

そんな思いをうっすら持ちながら、
まぁ、何となくキーボードを叩いているというのが実状です。

そんな自然体で紡ぎ出したわが家のブログが松本経済新聞に紹介されました。
嬉しい限りです。

僕は福島、京都、郡山、長野、大阪、名古屋、再び長野と移り住み、
縁あって松本に暮らすことになりました。
そんな僕だからこそ感じる、この街の良さはあると思います。

新しいとか、使い古されたとか、地元の人はみんな知っているとか、
そういうことに関係なく、
これからもわが家なりにこの街のことを発信していこうと思っています。
そんな安斎家のブログを今後ともよろしくお願いいたします。

と言いつつ、新聞的な新しいネタを一つ。
六九商店街の素敵な建物が、素敵なことに使われることになります。


こういった素敵な建物が街のそこかしこにあるのも松本の魅力のひとつだと思うので、
見つけたら写真に収めるようにしようと心がけます。

(夫記)
  

2013年04月04日 Posted by 安斎 at 23:21Comments(0)

オムツ中退

昨日から、うちの子どもたちは松本市里山辺にある「山の子保育園」に通っています。
ちょっと特色のある保育園で、ひと言で言えば
「自然とたわむれ、しなやかでたくましい子どもを育てる」という感じです。
詳しくは山の子保育園のサイトをご覧ください。

わが家はあまり教育方針というほどのこだわりはなく、
何となく、せっかくアルプスの麓に住んでいるのだから、
その名の通り、自然に親しむ「山の子」にしようかなぁ、
でも、多笑はやや潔癖性だから、近所の保育園でいいかなぁ。
それくらいの気持ちでした。

山の子は定員数が少ないうえに人気が高く、
到底入れないだろうと思いつつ、第一希望を山の子、
第二希望をうちから一番近い保育園にして願書を出しました。

わが家は急に引っ越しが決まったゆえ、事前の説明会などには一切出られませんでした。
だから通園が決まってから知って驚いたことがあります。
ゼロ歳児は布オムツを着用し、1歳児からオムツを強制的に卒業させることです。

わが家は紙オムツしか使ったことがありません。
そして直太朗はまだオムツを卒業できていなかったのですが、
保育園に行ったらパンツに履き替えます。
汚したら履き替える、を繰り返すため、
2〜3歳児の着替えは10着ほど用意しなければなりません。

さらにパンツは構造的な理由により女児用のものと決まっていて、
直太朗は2歳にして、僕も36年の人生で履いたことのない
パンティーを履くことになってしまいました。
そして家では紙オムツという、不思議な二重生活を送っています。

(こっちを向いてくれない直太朗の顔を無理矢理こちらへ向かせる多笑)

これからどんな生活が始まるのか、僕は結構ワクワクしています。
多分、汚れたパンツを毎日受け取ることになる妻はゲンナリしていることでしょう。
日頃、家事を任せ切りの僕としては、直太朗のパンツ洗いを日課にして
夫としてのポイントを稼ごうかなと思うのでした。

しかし、親も大変だけれど、職員の方々も大変だろうなぁ。
里山辺で、しなやかにたくましく育て、わが子。

(夫記)
  

2013年04月04日 Posted by 安斎 at 21:32Comments(0)