世界の終わりのスパゲッティソース(theeはこれからどこへ行くのか)
初演からひいきにしている劇団theeの、三回目の公演であり、
初の単独公演「ワールド・エンド・スパゲッティ・ソース」を観に行ってきました。
ハコはこれまでと同じ長野市のネオンホール。
僕が観た日曜日の回は超満員でしたが、どうも土曜日もそうだったよう。
脚本はこれまでどおり感心を通り越して感動。
ストーリーは伏線が絡み合い、
セリフや小道具にはこれでもかと言うほど小ネタが散りばめられ、
観るものを飽きさせない仕掛けの連続でした。
しかしです。
これまでの二作と決定的に違ったのは、
ちょくちょく、「あー、ここは劇場だったなぁ」と思わされたこと。
つまり、これまでの二作はあっという間に非現実的な世界に引き込まれて
幕が降りるまでどっぷりと浸かっていたのだけれど、
今回は、ちょくちょくここは小劇場であるという現実を思い出させられたのです。
これ、地方でちょっと面白いと評判の劇団に止まるか、
わざわざ長野の小劇場に、下北あたりから観に来る人が出てくるかのカベではないかと思うんです。
脚本がいつもどおり面白かったのは先述の通り。
そしてtheeのレギュラー陣、島崎美樹さん、ミズタマリさん、ムラタヒロミさんは、
いつも通り、瞬時に劇の中に観衆を引き込み、
かれらのキャラクターを是認させてくれました。
これまでの二作、theeの良さは、設定の良さと前述の三人のキャラが見事にマッチしていたことだと思っています。
マッチというより、三人のキャラを長峯さんがうまく引き出していたと思っています。
一作目で言えば、島崎さんという図書館司書のような風貌の
きらびやかとか妖艶とかいう形容詞とはかけ離れた地味な女子が娼婦を演じるわけです。
それって島崎さんが普通の娼婦を演じたら、観ている側からすると相当なストレスなのですが、
上下ジャージで娼婦をやっていて、当然指名も入らないという設定で娼婦を演じるわけですから、
もう登場から数秒で、その人の存在を是認するわけです。
そんなことはありえない、という意外性溢れる設定で、
でもそうだったら当然そうなるよね、という是認により、
あっという間に、劇の中に身を置かされ、終わるまでその中に居続けることができたのです。
二作目もそうです。
もう極論を言えば、ブスをブスとして扱い、デブをデブとして扱うというリアリティが
ありえない設定を是認させてくれたわけです。
しかし、今回は登場人物が増え、
当然ながら、一つ一つそれらの登場人物を是認しなければなりませんでした。
キャラクター設定は面白い。
セリフまわしも面白い。
しかし、役者の口調が、目線が、立ち居振る舞いが脚本の真意に肉薄していない。
と、僕には感じられました。
ニューヨークタイムスの演劇欄みたいな個人攻撃をしたいわけではありません。
先述の三人以外にも好演していた人もいましたし、
その人たちはまた観たいと思えました。
だから、その程度にとどめておきます。
演劇は登場人物が多ければ、ストーリーに深みが増します。
長峯氏の紡ぐストーリーは、観衆を飽きさせないだけのクオリティを保っていくでしょう。
一方で、最初から最後まで観衆が劇に没頭するには、
違和感を感じさせない演技が不可欠であり、
もちろん、十分に笑わせていただいたのだけれども、
初めてカベを感じた3作目でした。
今回の単独公演は、3回とも満席御礼だったようで、
それに見合うだけの作品だったと思うものの、
脚本がいいだけに、願わくば東京あたりからわざわざ演劇好きが観に来るだけのクオリティまで一段上がるには、
出演者を限定してそこでストーリーを考えるか、
ストーリーを自由に考えて、増えた登場人物に合わせた役者を揃えるか、
過渡期に来たのかな、と思わされる3作目でありました。
あ、めちゃめちゃ笑いましたけどね。
(夫記)
初の単独公演「ワールド・エンド・スパゲッティ・ソース」を観に行ってきました。
ハコはこれまでと同じ長野市のネオンホール。
僕が観た日曜日の回は超満員でしたが、どうも土曜日もそうだったよう。
脚本はこれまでどおり感心を通り越して感動。
ストーリーは伏線が絡み合い、
セリフや小道具にはこれでもかと言うほど小ネタが散りばめられ、
観るものを飽きさせない仕掛けの連続でした。
しかしです。
これまでの二作と決定的に違ったのは、
ちょくちょく、「あー、ここは劇場だったなぁ」と思わされたこと。
つまり、これまでの二作はあっという間に非現実的な世界に引き込まれて
幕が降りるまでどっぷりと浸かっていたのだけれど、
今回は、ちょくちょくここは小劇場であるという現実を思い出させられたのです。
これ、地方でちょっと面白いと評判の劇団に止まるか、
わざわざ長野の小劇場に、下北あたりから観に来る人が出てくるかのカベではないかと思うんです。
脚本がいつもどおり面白かったのは先述の通り。
そしてtheeのレギュラー陣、島崎美樹さん、ミズタマリさん、ムラタヒロミさんは、
いつも通り、瞬時に劇の中に観衆を引き込み、
かれらのキャラクターを是認させてくれました。
これまでの二作、theeの良さは、設定の良さと前述の三人のキャラが見事にマッチしていたことだと思っています。
マッチというより、三人のキャラを長峯さんがうまく引き出していたと思っています。
一作目で言えば、島崎さんという図書館司書のような風貌の
きらびやかとか妖艶とかいう形容詞とはかけ離れた地味な女子が娼婦を演じるわけです。
それって島崎さんが普通の娼婦を演じたら、観ている側からすると相当なストレスなのですが、
上下ジャージで娼婦をやっていて、当然指名も入らないという設定で娼婦を演じるわけですから、
もう登場から数秒で、その人の存在を是認するわけです。
そんなことはありえない、という意外性溢れる設定で、
でもそうだったら当然そうなるよね、という是認により、
あっという間に、劇の中に身を置かされ、終わるまでその中に居続けることができたのです。
二作目もそうです。
もう極論を言えば、ブスをブスとして扱い、デブをデブとして扱うというリアリティが
ありえない設定を是認させてくれたわけです。
しかし、今回は登場人物が増え、
当然ながら、一つ一つそれらの登場人物を是認しなければなりませんでした。
キャラクター設定は面白い。
セリフまわしも面白い。
しかし、役者の口調が、目線が、立ち居振る舞いが脚本の真意に肉薄していない。
と、僕には感じられました。
ニューヨークタイムスの演劇欄みたいな個人攻撃をしたいわけではありません。
先述の三人以外にも好演していた人もいましたし、
その人たちはまた観たいと思えました。
だから、その程度にとどめておきます。
演劇は登場人物が多ければ、ストーリーに深みが増します。
長峯氏の紡ぐストーリーは、観衆を飽きさせないだけのクオリティを保っていくでしょう。
一方で、最初から最後まで観衆が劇に没頭するには、
違和感を感じさせない演技が不可欠であり、
もちろん、十分に笑わせていただいたのだけれども、
初めてカベを感じた3作目でした。
今回の単独公演は、3回とも満席御礼だったようで、
それに見合うだけの作品だったと思うものの、
脚本がいいだけに、願わくば東京あたりからわざわざ演劇好きが観に来るだけのクオリティまで一段上がるには、
出演者を限定してそこでストーリーを考えるか、
ストーリーを自由に考えて、増えた登場人物に合わせた役者を揃えるか、
過渡期に来たのかな、と思わされる3作目でありました。
あ、めちゃめちゃ笑いましたけどね。
(夫記)